ままならない

オタクはしんどい

推しについて

 

 

そういえば推しについて書いた記憶がないので(もしかしたら書いているかもだけれど)、書きます。書いてあったらこいつは鳥頭かな?って思ってください。

 

推しはですね、まあ若手俳優界隈では有名だと思うんですけどね。自信がないのはそこまで界隈の深さを知らないからです……勉強します……。

まあそれはおいといて。

わたしはすごく推しのことが好きなんですけど、ファン思いかってきかれたら首をかしげるんですよね。だって推しよりファン思いなんだろうなーって俳優さんいますし。

じゃあなんで推しは有名なのか。

考えたんですけど、だいたい3パターンに別れるんだと思うんです。

①推しの顔面の綺麗さに惹かれた新規(80%)

②推しの演技がすき(10%)

③推しの全てを受け入れている(10%)

こんな感じなのかなーと。③はもうちょい少ないかもしれないかなぁ。

顔面の綺麗さは本当に素晴らしい武器ですよね。2.5次元ブームにおいて一番の強みになるのではないかと。わたしも顔面から入りましたし。やっぱ顔面は大事。

そんで性格ですね。推しはカノバレやらなんやらで炎上しているのでそこらへんはあまり考えてはいけない気がしてます。もうだいたい誰か検討ついてると思います。そうです彼です。

演技は好き嫌いが分かれるんじゃないかなぁ、と。レビューやら何やらみてると、これからに期待って声もあるのでそういうことですね。わたしはすきです。

 

なんかすごい真面目に分析してみたんですけど、あんまり褒めてないなこの記事。愛情はあるのでゆるしてください。すごい好きなんですよ!でも、好きだからってなんでも許容できるかっていわれたらまた違う問題。

 

前記事のこれ↓

 

haaaaapy2234.hatenablog.com

 

でも書きましたが、わたしは推しの演技に全振りなので、まあぶっちゃけ私生活はどうでもいいんですよね(炎上の件は除く)。性格もファンの夢を壊さないのを気をつけて頂けたら、陰でゲスかったとしてもいいわけですよ。犯罪とかは困るけど。推しの姿はみていたいのでね。

全然書きたいことまとまってないんですけど、とりあえずいまの段階で推しに仕事があるってことは、ちょっと乱暴な言い方をすれば過去に炎上してもファンの入れ替わりが激しくても起用すれば客が入るって認識されてるってことなんですよね。もちろん推しの演技力や人間性、一緒に仕事をしたいと思わせる魅力があるのもまちがいないと思う。だって嫌な人と仕事したくないでしょうし。

 

でもなー、若手俳優はごまんといるわけなので、どうか頭一つ抜けてくれないかなぁとも思ってしまう傲慢。いい歳だし。普通の舞台で、普通の人間の役をやっている推しも見たいです。4月の主演舞台は刀振り回すミュージカル優先したのでみれませんでした。円盤化しないの知ってたらいったのに。無理すればよかった。

 

来年は映画にでるらしいけどなんの情報もないのでちょい役なのかなーと。

ちょい役でも映画でるんだものね、すごいです。どうかここから茶の間への進出もお願いします。推しを追っかけてたら破産してしまう。

 

ぐだぐだ書き出してみたら長くなってびっくりしました。なんだわたしちゃんと推しのことすきじゃん!と一安心です。

 

でも最近は推しよりTさんとAさんが気になってる。推しは推しのままだけどこのふたりはやばい。とくにAさんはファン想いがすぎるので、Aさんを推している人は幸せだろうなーと勝手に思ってます。ほんとうに最高。

 

たまには違う人も…なんてつまみぐいしつつも推しのSNSチェックは無意識に行なっているので、浮気するとこういう背徳感が付き纏うのかしら、といらんことを学んでしまいました。しばらく推し変はなさそうです。

 

 

認知ってなんぞや

 

このブログを始めたきっかけは、「推しから認知されたい」系の記事を読んだからである。

推しの数だけ求める認知が違うとはこのことかとびっくりした。わたしの周りにはどっっぷり若手俳優に夢中な人はいないし。せいぜいゲームの課金兵ぐらい。なので、せっかくだからわたしの「推しからの認知」についても書いてみたい。

 

まず、前提として申し上げると、わたしはそこまで推しへ全力ではない。え、お前それ推してるって言えると思ってんのか、とのつっこみはごもっともです。

地方住みなのも大きいが、金銭的に余裕がないので全通はまず無理だし、それこそグッズ代だってそんなに出せない。いや、もちろんできる限り購入するけれど、推しはそれこそ若手俳優界隈ではそれなりに人気だし、わたしの他にもごまんとファンはいて、それこそ手紙もプレゼントもリプも何も送っていないわたしは、推しにとっては「顔も名前も反応もわからないけれど、SNS上の数字でみえる大勢のファン」の一人なのである。そしてわたしは悲しいのかめでたいのかわからないけれど、この立ち位置にまったくなんの不満もない。むしろ丁度良いとすら感じている。

 

だって、推しには綺麗なものだけを見ていてほしいのだから。

 

こう書くとある意味ほんとうに気持ちが悪いのだけど、わたしにとって推しは崇高な存在なのだ。わたしごときがおいそれと接触していいと思えないのだ。推しにはわたしというどこにでもいる平凡な、つまらなくて生産性のない日々を送っている人間のことなんてみてほしくない。そりゃ、いつも応援してくれてありがとう、みたいな発言には心踊るし、FCでしかみれない一面をみると幸せな気持ちになれるけども。

誤解しないでいただきたいのは、こういう考えだからって、「接触系イベントやファンサを求めている人たち」のことを理解できないわけじゃないことだ。

前述した通り、求める「認知」はみんなちがう。りあこだって大勢いるだろうし、実際に推しとどうこうなりたかったり、そこまでいかなくても顔と名前は覚えてほしいって人もいるだろうし。その願いを叶えるためにする努力を否定する気は毛頭ない。むしろすごい。わたしは天変地異がひっくり返ってもできない。ぶっちゃけ羨ましい。

 

手紙を書こうと思い立ったこともあった。接触するのは絶対嫌だけど、手紙なら姿も見えないし。名案かもしれない。そう思って何度も文章を考えたけど途中で何を書きたいのかわからなくなってしまうのだ。観に行った舞台の感想を書こうにも双眼鏡からのぞいた推しの横顔が美しかったことしか記憶にない。というか、舞台の上で全身全霊で演じきっている姿をみてしまったら、わたしは推しというより推しが演じるキャラクターに夢中になってしまう。

推しのことも好きだけど、推しが演じているキャラクターのほうが好き。要するに舞台の上にいる推しへの好意が9割で、普段の推しへの好意が1割。なんとも面倒臭い。お前はほんとうに推しのことが好きなのかとわたしも自分に問いたい。けれど、やっぱり推しの演技は最高なのだ。推しより演技の上手い役者さんはたくさんいるし、顔の綺麗な人もいる。でもわたしは、推しのひとつひとつの言動に意味を持たせる役作りの深さだとか、変化球のアプローチだとか、本当はしっかりした舞台に出たいだろうに腐らずにひたむきに仕事をしている姿に魅せられているのだ。

結局わたしは、推しのファンというよりは、推しが作り上げるキャラクターを見ていたい観客なのだと思う。うまく言えないけれど、推しに求めているのはファンサではなくて、完璧に作り上げられた役を演じて板の上に立っている推しの姿なのだ。自分でも何を書いているのかわからなくなってきた。

 

まあだからといって推しのSNSはどうでもいいのかといわれるとそれはまた違う話なのです。ブログだって更新されるたびに読むし、SNSにはいいねもするし画像だって保存しちゃう。もはやいつものことすぎて異常性に気づいていないけれど、ファンなら当たり前だろってね。だって推しですからね。

 

結局認知の話から外れてしまったような気もするけれど、まとめると「推しはきれいなものだけをみていてね。そして気が向いたときにでいいので感謝の言葉をください。でも一番はいつだって最高な舞台でわたしを夢中にさせてください」ってことですな。最高なパフォーマンスがもらえるなら認知なんていりません。みたいな。はーこれはこれでこじらせオタクの深い深い業ですね。

 

ももし電車なんかで推しを見かけたら、迷わずガン見して不自然にならない程度に近づいて、推しが降りる駅で一緒におりて、急ぎじゃないか様子を伺っていけそうだったら応援してますって声掛けちゃうんだろうなって妄想している日々。絶対ありえないけどそれもまた旨味です。

はじめに

本格的に興味を舞台に持ったのは、ここ一年ほどである。

学生時代から友人やらなにやらから情報は仕入れていてはいたが、実際に自分でお金を出して生の舞台を観劇したのは昨年の冬のことだ。

しかも最近話題の、2.5次元である。だれがどうみたってにわかもにわか。

 

しかしそんなわたしにも、ついに推しというものができた。

 

というかそもそも、舞台というものには興味はあったのだ。

それこそわたしが学生のときには「テニミュ」に火がつき始めたときで、元々アニヲタであるのでそこから入った。

忘れもしない。こんなに綺麗な顔面の人たちが、あんなに伸び伸びと表現をし、しかも観客は信じられないぐらいの熱量で彼らを見つめている。

衝撃的だった。いつか自分もこのぐらいの近さで、彼らと一体となって空間を楽しみたいと、当時中学生だったわたしはわっくわくのうっきうきで学生生活を捧げた。今にして思えば、これがきっかけで少しずつ沼っていったのかもしれない。

まあね、テニミュについて触れていたらまったくもって先に進まないので省略します。機会があったら別の記事にでもします。

 

まあそんな感じで学生生活はずぶずぶゆっくりと沼に沈んでいき、とうとう、自分でチケットを購入する機会がやってきてしまった。推しができちゃったのだ。こんな綺麗な人が存在しているなんて世の中どうなっているんだ、と本気で思っていた推しが出る作品に友人が興味を持ち、観劇に誘われた。

頭をガツンと殴られたようだった。舞台を観に行くという行為がこんなに身近なものだと、チケットを手に入れるのは人類に平等に与えられた機会なのだということをすっかりぽっかり知識から抜かしてしまっていたのだ。我ながらとてもアホである。抜け落ちた理由は様々あるし書きたいのであとで別記事にします。

 

生でみた舞台は最高だった。ぶっちゃけると最初に観劇したのは推しが出ていないミュージカルの方なので期待しなかったのだが、最高だった。続けて、推しの舞台をみた。最高だった。こんな夢の時間があるのかと思った。劇場に着いたときには重たかった財布が、帰るときには軽くなっていたので現実だと実感したほどだった。

 

そんな訳でずぶずぶと全身沼に浸かったわけですが、そもそもどうしてこのブログを始めようと思ったかというと、やはりSNSでは呟ききれないと感じたからだ。

舞台みれば必然的に感想が生まれるが、全ては書けないし、良くも悪くも発言がきっかけで俳優や原作のファンに絡まれたらこわい。わたしはチキンだ。小心者だ。時々自分でもびっくりするほど臆病である。

 

ということで、このブログでは観劇した舞台のこととか、推しのことなどをある程度好きに書き垂らしていきたいなーと。そんな軽いきもちで始めてみようと思います。

地方住みの嘆きとかね。世の中にはどうにもならないことがたくさんだ。